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2020/05/25

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引退選手インタビュー 奥山優奈「すべての出会いに感謝。ユナさんの笑顔で元気が出た、と言ってくれる方々のおかげで自分の役割に徹することができました」

タイムアウトの時は誰よりも速くダッシュで駆け寄り、コートの仲間を笑顔で迎える。6シーズンに渡り、レッドロケッツを明るく照らし続けた奥山優奈選手が今季限りでの勇退、引退を発表。ケガで苦しみながらも頑張れた源、同期の柳田選手への思い。関わるすべての人に感謝を込めて。奥山選手からのラストメッセージ。

※当取材は新型コロナウイルス感染症対策のため、リモート取材によって実施されています


 
名前 奥山優奈(おくやまゆうな)
ポジション セッター
背番号 8
所属チーム 旭川実業高-NECレッドロケッツ(2015~)
   

1年目からケガで苦しむも、救ってくれたアキさんとミキさん

――レッドロケッツでの6シーズンを振り返って、どんな思いがありますか?

6年という時間以上の経験をたくさんさせてもらいました。内定選手として合流直後に、他のセッターの方々がケガをしていたこともあり、試合に出るチャンスが巡って来たんです。私は高校からセッターになったばかりで、まだ経験も浅かったのですが、黒鷲旗に向けてアキ(秋山美幸)さんや、マコ(松浦麻琴)さんが朝も昼も夜も付きっ切りで練習に付き合ってくれて、いろいろなことを教えてくれていた。期待に応えるためにも頑張ろう、と思っていたのですが、まだ身体もできていないうちにトスを上げ過ぎたことでケガをしてしまったんです。そもそもセッターがケガをしているから私が出るはずだったのに、私がケガをしてしまったら他にセッターはいない。その状況でミキ(八幡美樹)さんが「私がセッターをやります」と言ってくれたので、黒鷲旗はミキさんがセッターでした。本当ならば自分のポジションで出たいはずなのに、私のせいで、と思うとものすごく申し訳ない気持ちでいっぱいだし、あれだけ付きっ切りで教えてくれたアキさんやマコさんにも申し訳ない。そう思っていたら、試合前日にミキさんが部屋に来てくれて、渡された手紙に「気にしないでいいよ。ユナが自主練を頑張っていたのを見ていたから、私がユナの分もやる! と思ったんだよ」と書いてあって、その言葉に本当に救われました。ミキさんとは1年しか一緒にプレーできませんでしたが、あの時のことは一生忘れないし、今も尊敬する先輩です。1年目はほとんどケガのリハビリだったのですが、2年目のサマーリーグで試合に出られて、同期のミズ(柳田光綺・現レッドロケッツ)、ナミ(佐川奈美・2017年引退)と3人でコートに立てたことがすごく嬉しかったです。


※左から八幡美樹さん、秋山美幸さん、松浦麻琴さん

――セッターになったのが高校時代から、と仰っていました。それまでのポジションは?

小、中学校はアタッカーで、高校1年の時はミドルでした。高校2年になってからレフトの練習を始めて、楽しくなってきた3年の頃に「セッターをやってみろ」と言われてインターハイ後に転向しました。春高では1年生だったウミ(廣瀬七海)と一緒にコートへ立つことができて、負けてしまいましたが楽しい全国大会を経験しました。

――セッターでVリーグ、想像していましたか?

全然。考えもしませんでした。実は他のチームから声をかけていただいた時は、アタッカーとしてだったので、躊躇しているうちに話しがなくなって、大学へ行こうと思っていた時に、NECからセッターで来ないか、という話しがあると高校の監督に言われて、考えることもなく速攻で「行きます」と答えたんです。もちろん自信なんてありません。でも始めて数か月なのに、セッターとしてトップチームから声がかかることが嬉しくて、不安よりも、やってみたい、セッターを学びたいという気持ちでワクワクしていました。




――実際にレッドロケッツへ入ってから、直後にケガで苦しいスタートとなりましたが、支えになったのはどんなことでしたか?

アキさんの存在です。アキさんも大きなケガをして長いリハビリをしていたのですが、キャプテンとしてチームを引っ張る姿勢や、自主練習でも人一倍努力をしている姿を見て、本当にすごい人だと思っていました。ケガをして、自分はリハビリをしている中、同期のミズやナミが試合に出るのを見ると悔しかったし、自分だけ置いて行かれているような気持ちだったのですが、そこでアキさんが「こういう時間も逆にチャンスだよ」と言ってくれたんです。身体と向き合うのはなかなか難しいけれど、1年目からできるんだからユナは恵まれているよ、とアキさんに言われたことで救われたし、そのおかげでリハビリもつらいと思わず頑張ることができました。
 

笑顔と気合。劣勢の時も盛り上げるのが私の仕事

――いろんなタイプのセッターがいる中、奥山選手はいつも笑顔のイメージでした。セッターとしてコートに立つ時、どんなことを心がけていましたか?

表情ですね。クールに振る舞うセッターもたくさんいますが、私は声をかけまくって、空回りする時もありましたが、それでもとにかく声を出そう、笑顔でいよう、と思っていました。高校時代の恩師に「セッターはチームの鏡だ」と言われたことがあって、セッター以外の選手は全員セッターの顔を見ているんだから、暗い顔をするな、と言われてから、劣勢の時でも私は笑っていよう、と心がけてきました。



――特に印象的な試合はありますか?

2年目のファイナル6、久光製薬との試合です。後半の競った展開の中、2枚替えで出させてもらって、とにかく「打ちやすいトスを上げよう」と思いながら、ミドルのクイックを2本使ったんです。それが決まって、1点リードしたぐらいのところで私はベンチに下がったのですが、自分もすごく気持ちが良かったし、試合に出ていたクウ(山口かなめ)さんから「ユナ、ありがとう」と言ってもらったんです。クウさんはその後、冷静にクイックを増やすことができたおかげで突破口になった、この試合はユナに助けられた、と言ってくれたのが本当に嬉しかったです。2枚替えで出番は3ローテだけでしたが、その3ローテの中で何か残せたのかな、と思えたし、クウさんを助けたい気持ちが強かったので、少しでも役に立てたのかな、と思えた、私にとっては記憶に残る1戦、1勝でした。


※印象的な試合としてあげた久光製薬スプリングス戦(2016年2月7日@島津アリーナ京都)

※当試合の試合レポートはこちら


――限られた出番、目立たない中でもそれぞれに役割があります。コートの中だけに限らず、奥山選手が意識してきたことは何でしたか?

いろいろな立場を経験させてもらったことが大きかったです。チームにはずっとユニフォームを着てコートで活躍する人もいるけれど、そうじゃない人もいる。私は試合にも出させてもらったし、ベンチ外から見たこともあれば、リザーブもある。いろんな場所から見たことで、ユニフォームを着ていない人や、試合に出ていない人の存在がすごく大事だと実感しました。レッドロケッツは特にそういうチームなので、たとえ自分が試合に出られなくても一切手を抜かないし、その場で自分の役割は何か、とみんなが探して動くことができる。それがチームの強みだと思います。私もユニフォームを着られなかった時があるから、自分がユニフォームを着たら、外からサポートしてくれるみんなの分も頑張ろうと思ったし、ベンチ外の時は心から「行って来い」と思って、試合に出る仲間が全力でできるようにサポートしようと思ってきました。



――タイムアウト時も、アップゾーンから一番最初に飛び出して迎えていたのが奥山選手でした。

それだけは譲れないので、試合の流れを見ながらいつも準備していました(笑)。テクニカルタイムアウトの時は点数でわかるので、周りに「あと1点だよ!」とコールしたり、劣勢の時は金子さんをちらっと見て、タイムを取りそうだな、と思えば誰よりも最初にダッシュする、といつも心がけていました。そんなに速く行っても何か言えるわけではないですが、同じセッター同士には「もっとミドルが通るよ」と言ったり、負けている時は弱気になることも多いので、お尻をパーンと叩いたり、背中をバーンと叩いて「行くよ!」と送り出せば、みんなに気持ちが伝わると思っていました。


みんなで取って、みんなで喜ぶのが大好きなレッドロケッツバレー

――今年限りでの勇退、引退はいつ頃決意したのでしょうか?

本当は去年、引退しようかと考えていたんです。でももう1年頑張ろうと思って今シーズンに臨んで、天皇杯が終わってからもう一度考えようと思っていたのですが、天皇杯が中止になり、じゃあ黒鷲旗で、と思ったのですが、黒鷲旗も中止になった。でもその時、不思議と自然に「辞めよう」と思えました。去年引退しようと思った時は、母のために頑張ろう、と思ったんです。母はバレーボールをしている私も、NECレッドロケッツも大好きなので、少しでも見てもらいたかった。去年、なかなか試合に出られなくて苦しかった時に「本当はつらいんだ。来年、続けられないかもしれない、ごめんね」と母に言ったら、普段は泣き虫なのに涙を堪えて「優奈の好きなようにしなさい」と言われて。その言葉で1年頑張れたし、今はとてもスッキリした気持ちでやりきれたと思っています。

――奥山選手にとって、レッドロケッツはどんなチームですか?

本当に大好きな仲間、大好きなチームです。みんないい人で、みんなバレーに真っ直ぐ。バレーが大好きで、人のことを思える人ばかりが集まったチームです。在籍した6年間、私自身も成長させてもらったし、今いるメンバー、引退された方々、素晴らしい出会いに恵まれました。うまく言葉にできないですが、本当に大好きです。



――これからはOGとして、レッドロケッツの選手、チームに望むことは?

優勝経験がある選手も少なくなってきましたが、レッドロケッツの泥臭いバレーは選手が新しくなっても変わらないでいてほしいです。どんなボールでも最後まで追いかけて追いかけて、という姿勢を見せるとか、きれいなバレーではなく、どんな1点もみんなで取って、みんなで喜ぶ。その1点を積み重ねて勝つのが先輩方の残してくれたレッドロケッツバレーだと思うので、形にこだわるところも大事ですが、そこばかりではなくシンプルに、ボールを落とさず、みんなで決めに行く。そういうチームであってほしいと思います。

――唯一の同期、柳田選手へ向けて、どんな思いがありますか?

ミズと2人残った時からずっと「一緒にコートへ立とう」と言い続けてきました。私がなかなか立つことができなくて、叶えられなかったのですが、最後の紅白戦で金子さんが同じチームにしてくれたので、その時は後半、全部ミズに上げました。野嶋(華澄)がミドルに入っていたのですが「ごめん、私ミズに上げるから」と言って、本当に全部上げたら、ミズが全部決めてくれた。あー、やっぱり気持ちがつながっているんだ、と思えて本当に幸せでした。あんな風にもっとコートの中で私がトスを上げて、ミズが決める、とやり続けていたかったけれど、今までお互い苦しい時もいっぱい話しをしながら越えて来た関係は変わらないし、ミズの背中を押すのは私だと思うので、これからも、いい時も悪い時も変わらずミズの背中を押してあげたい。一番の味方でいたいです。



――最後に。応援してくれた方々、支えてくれた方々へのメッセージをお願いします。

小学校からバレーボールを続けてきて、関わってくれたたくさんの方々のおかげで、ここまで思いきりバレーを楽しむことができました。本当は会社の方々やファンの方々にも直接御礼を伝えたかったのですが、それができなかったことは残念で、申し訳ないです。私は試合に出る機会が少なくて、応援して下さる方々にいつも申し訳ない気持ちだったのですが、会場で声をかけて下さったり、「ユナさんの笑顔に元気をもらっています」と書かれたお手紙を読むたび、私が支えられていました。どんな立場でも、たとえコート外にいた時でも、私の表情で見てくれる方が元気になることもあるんだ、と思って、できることをやり続けよう、と思えたのも応援して下さったみなさんのおかげです。いろいろな出会い、縁、タイミング、私は本当に恵まれた選手人生でした。本当にありがとうございました。


 

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