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2020/05/25

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引退選手インタビュー 峯村沙紀 「バレーボールは自分を表現できること。自分の良さも悪さも、私は全部出し切れた。スッキリしています」

苦しい場面でのレシーブなど、チームを支えたベテラン、峯村沙紀選手が今季限りでの勇退、現役引退を発表。NECレッドロケッツで2シーズン、東レアローズで9シーズン。のべ11シーズンという長きにわたり、バレーボール選手であり続けた峯村選手が語る、これまでとこれから。バレーボールへの感謝と、応援してくれた人たちへ、心からのメッセージ。

※当取材は新型コロナウイルス感染症対策のため、リモート取材によって実施されています


 
名前 峯村沙紀(みねむらさき)
ポジション アウトサイドヒッター
背番号 7
所属チーム 九州文化学園高-東レアローズ-NECレッドロケッツ(2018~)
 

ベースがつくられた高校時代を支えに

――NECレッドロケッツで2シーズン、東レアローズで9シーズン、峯村選手にとってVリーグでの11シーズンを振り返り、今、どんなことを思い浮かべますか?

小さい頃から「日本代表に入りたい」と夢を持って、高校を卒業してすぐ東レに入れていただいたのですが、結果を出しているチームの、そうそうたるメンバーを見ればすぐ試合に出られるとは全く思いませんでしたし、実際そう簡単にはいかない、ということを学び、むしろが自分思っている理想通りになることのほうが少ないんだ、という厳しさを教えてもらいました。レベルの差を突き付けられましたし、それまで通用していたことが通用しない。何を武器にしてやっていけばいいのか、葛藤して悩んだことがたくさんありました。

――NECならば広報の岩﨑さんや、引退した八幡さんなど同学年にもVリーグで活躍した選手がいます。小学校からバレーボールを始め、学生時代の経験はどんなところで活かされていましたか?

私は小学生の頃から背が高くて、中学に入った時点で175cm。ほとんどの選手の上から打つことができたので、怒られるどころか、褒められて、大事にされてきたんです。でも気づかぬうちに、自分が勘違いしていたこともあって、周りに支えられて自分がプレーできているのに、「私がエースとして全部やっているのに」と、試合に出られない選手の苦しさやつらさを考えず、自分の目指すことしか考えない時期もありました。高校時代の恩師である井上先生はもちろんそんな私の甘えを見逃さなかったので、怒られる。将来を考えて厳しく叱られ、その頃は「もうバレーを辞めたい」と思うこともありましたが、あの頃井上先生から怒られ、教えられ、育てていただいたおかげで、ここまで長くバレーボールが続けられたと思います。今は同級生も少なくなってしまいましたが、Vリーグに入ってからも同じ歳の選手は「負けたくない」と意識していましたし、NECに入って、ヒナ(岩﨑さん)がいてくれたことも心強かった。高校時代は、間違いなく私の土台です。


※九州文化学園高時代の峯村選手

――それでもVリーグに入ってからはなかなか試合に出られず苦しかった、と仰っていました。どんな風に乗り越えてきたのでしょうか?

恩師の井上先生からもらった言葉、九州文化学園の四か条があるのですが、うまくいかない時はその言葉に支えられました。1、感謝と思いやりの心を持つ。2、言い訳、責任転嫁をしない。3、プライドを持つ。4、自分の役割を見つけて果たす。若い頃は忘れてしまうこともありましたが、年齢や経験を重ねてからは特に深く感じるようになりましたし、私生活もバレーボールでも自分をつくりあげるのに必要なもの。人生を生きるうえでとても大切な言葉をもらったおかげで、乗り越えられたこともたくさんありました。


いつも笑っているレッドロケッツの選手たちが弱い自分を支えてくれた

――選手にとって移籍を決断するのは大きな覚悟が必要だったと思います。峯村選手が移籍を決めた理由を教えて下さい。

何かを変えたい、と思ったのがきっかけです。環境を変えて、ゼロから自分を見てほしい、という気持ちが強くありました。ケガが続いたこともあり、試合に出られないけれど明るくいなきゃいけない、と自分を縛っていたり、本当は試合に出たいけれど、いざ試合に出ても結果が出なくなったらどうしよう、と先に考えてうまくいかなかくなってしまったり。自分の心と身体のバランスが保てずボロボロで、それでもこうありたい、こうあるべきだ、というギャップに押しつぶされそうでした。ちょうど二度目の手術をさせてもらう時期とも重なったので、そろそろ現役生活を終わらせないといけないのかもしれない、とも考えたのですが、本当にそれでいいのかな、と。自分が選手として納得できるまでやるために手術をさせてもらったのに、このまま辞めてしまったら、何のためにやってきたんだろう、と思いました。自分が今までやってきたバレー人生を1つの場所で終わることも素晴らしいことですが、このまま辞めてしまうならば、今しかできないことに挑戦してみたい、と思い移籍を決断しました。



――NECへ移籍を決めた理由は?

一番最初に声をかけていただいたのがNECでした。そのこと自体がありがたかったですし、ここまでやってきたことをトップレベルでやり続けたい、という気持ちが強かったので、ただただ嬉しくて、ここしかない、という思いで決断しました。

――年齢やキャリアを重ねての移籍、不安はありませんでしたか?

プレッシャーはありました。でもその前に身体のコンディションが思ったよりも悪くて、思うように動かない。ここまで来たのに何をやっているんだ、というマイナス思考が出て来たこともありました。でもそのままではこれまでと同じだし、頑張らなきゃ、と思った時にレッドロケッツの若い選手たちの存在に助けられました。私から見ても、こんなにしんどい思いをしているのに、という時でも、みんないつも笑っているんです。練習でかなり怒られた後とか、当然気持ちは落ち込むし、練習しなきゃ、と思っても行動に移せない人が多いし、普通ならふてくされてしまうこともあるはずです。でもレッドロケッツの若い子は違うんですよ。そこで「クソー」という顔をしながら一生懸命自主練習する。なかなか試合に出られなかったり、リーグ前の練習試合でメンバーから外されても、スパイカーをつかまえてトスを上げたり、コーチに「サーブを打って下さい」とか、「レシーブ練習がしたい」と自分から言いに行って、練習する。そういう姿勢は、今まで歴史や伝統として積み重ねてこられたOGの方々の力があって、今ここにいる選手が引き継いでいるからだ、と。そういう姿を見ていたら、身体の状態がよくなくて練習できなくても、思うようにプレーできなくても、ここで何かしら残せるように頑張ろう、という気持ちにさせてくれました。ここまで頑張れたのは、一緒にやってこられた仲間、コーチやトレーナーなどスタッフの方々、監督、GMがいつも気にかけて、声をかけて下さったおかげです。本当に感謝していますし、レッドロケッツに入ることができてよかったです。
 


「ありがとう」と清々しい気持ちになれたファイナル8の東レ戦

――在籍した2シーズンの中で、特に印象深い試合は?

2019/20シーズン、ファイナル8の東レ戦です。ずっと東レに恩返ししたい気持ちがあって、それは移籍先で活躍することだと思っていました。限られた出番ではありましたが、東レとの試合に出られて、結果は負けて悔しかったのですが、終わった後は違う涙が出ました。今だから言えるのですが、大事な試合で負けて「悔しい」と思っていた仲間には申し訳ないし、私も悔しかったけれど、それ以上に自分の中ではすごく清々しかったんです。最後と決めたシーズンで、やっと、東レとの試合に出てプレーすることができた。これがしたかったんだ、という気持ちがいっぱいで涙が出ました。東レのみなさんありがとうございます、という気持ちと、こんな素晴らしい場を与えてくれたNECのみなさんありがとうございました、という気持ちでいっぱいでした。


※前所属の東レアローズ戦(2020年1月11日@サイデン化学アリーナ)

――最後と決めたシーズン、ご自身のプレーやコンディションに限らず、峯村選手の中で意識してきたことはありましたか?

これだけ長く続けられて、仲間の大事さをよくわかっていたので、1人1人に話す「思い」を大切にしよう、と思っていました。今の若い子たちを見ていると、当時の私とは比べられないぐらいしっかりしていて、私が言うことなどないのですが、東レに入ったばかりの頃、先輩方が教えてくれたように、たとえ試合に出られなかったとしても自分の役割をどう果たせばいいか。自分の武器を引き出すために、何をすればいいのか。そんなことを少しでも伝えられれば、と思っていました。私も現役生活はケガが多くてしんどい思いをしてきたので、ちょっとした時に「体調どう?」と声をかけたり、自分が話すばかりでなく、相手の思いや気持ちを聞くことを心がけていましたね。ただひたすら「頑張ろう」と言われてもしんどくなってしまう子もいるし、「頑張ろう」と言われることでやれる子もいる。その人に合わせて、その子が一番頑張れるにはどう声をかければいいか、というのは考えていました。

――11シーズン、長い時間です。ここまで峯村選手が頑張りきれた理由は?

家族、応援してくれる人、出会ったすべての方々の存在が大きかったです。特に手術やリハビリで一緒だった人たちが応援に来てくれると、心が折れそうな時も「頑張らなきゃ」と思えました。でも、ここまで頑張ってこられた一番の理由は「いつか日本代表に入りたい」という子どもの頃からの夢が大きかったんです。結局叶えることはできなかったけれど、その夢があったから、ここまで頑張れたと思います。

――NECレッドロケッツは峯村選手にとってどんなチームでしたか?

お花畑みたいでした。なんか変な言い方ですけど(笑)、いろんなお花がいっぱい咲いているお花畑。1人1人カラーは強いし、形も違うけれど、みんな前向きで太陽に向かって咲いている。でも全員がひまわりじゃないんです。色も、大きさも違う。でもみんなが同じ目標に向かって咲く。そういうチームでした。



――これからを担い、築いていく選手たちに向けて望むこと、願うことは?

好きなことを続けられるのは素晴らしいことです。勝負の世界である以上、簡単なことばかりではないけれど、その勝負を本気で楽しんでほしいですね。私にとってバレーボールって何だろう、と考えた時、自分を表現できるものだと思ったので、若い子たちにもバレーボール選手として、自分の思ったこと、やりたいこと、いろんなことに挑戦しつつ、仲間を思いやって助け合うことを表現する。1人1人の良さもダメなところも全部出してほしいです。私は全部出してしまえ、と思っていたし、出し切ることができたのでスッキリしているし、レッドロケッツは、たとえスターがいなくても、人の心を揺さぶるようなチームになってほしいです。

――最後に。11シーズンに渡り支えてくれた人、応援してくれたすべての人たちに向けて、峯村選手からメッセージをお願いします。

直接言葉を交わしたことがない方でも、どこかで応援して、支えて下さった方々がいたから、私はここまで選手として続けることができました。試合や合宿でいろいろな場所へ行き、その都度ホテルのベッドメイクをして下さった方や、食事やミーティングルームなど施設を提供して下さった方々。当たり前のように感じているかもしれませんが、そういう方々がいなければ私たちは試合に集中して、思いきりプレーすることなどできませんでした。本当にありがとうございました。いろいろな人とつながり、助けられていたことは当たり前じゃない。そんな大切なことに気づくことができたのは、私の周りにいて下さった人たちのおかげです。バレーボールを通して人とつながる大切さ、本当にいろんな経験をさせていただきました。“感謝”の一言でまとめてしまったら足りないかもしれませんが、今まで本当にありがとうございました。これまでのことを忘れず、もっと勉強して、またたくさんの方に助けてもらって、私も助けていけるように、これからも頑張ります。ホームゲームの応援に行ける時は私も会場へ足を運びますので、その時はぜひ、声をかけて下さい。本当にありがとうございました。



 

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